公転周期の異なるミッドチルダと地球では、酷似した四季を有しながらも、若干のズレが生じている。アースラに出向し、5日間の特別捜査を終えたはやては、守護騎士の面々、それから同任務に就いていたフェイトと共に地球へ降り立ち、すっかり春めいた日差しの中で、季節外れ甚だしい厚着に辟易としていた。
「…………あかんね、やっぱり。長めのミッド入りん時は、地球のカレンダーが必要や。軽い浦島太郎気分やよ、ほんとに……」
 対してフェイトはと言うと、ミッドチルダの寒さには慣れているため、当地でも大した厚着をしておらず、今この瞬間もそう暑く感じる格好はしていなかったので、溶けているはやてに苦笑気味である。
「主はやて、先程から申してますように、暑いのでしたら私がお持ちしますので…………」
「あかん! それは負けを認めた事になるんよ!? 家に帰るまでが出張任務や。わたしは負けへんよ…………!」
 ぐっ! と、拳を突き上げて汗を拭うはやてのテンションに、守護騎士達は諦めたような溜め息をこっそりと吐き、フェイトは常ならぬ親友の状態に、冷や汗混じりで助けを求めるような視線を面々に送った。
「…………テスタロッサも見ただろ? あの魚仮面男、最近はやての出向く先々に出没しては、正義ヅラして高笑いした挙句、現場をひっかき回すだけひっかき回して、適当に去って行くんだよ」
「はやてちゃん、ようやく車椅子を使わなくても良くなったから、『もっとお仕事一生懸命や〜!』って張り切ってたのにそんなのばっかりで、相当ストレスが溜まってるみたいなのよね…………」
「…………テスタロッサ、武士の情けだ。どうか主はやての事はそっとしておいて差し上げてくれ…………」
 口々に言う面々と、無言のままに頭を下げているザフィーラの瞳に光るものを見つけ、フェイトは前を歩くはやてに、悲しげな視線を送るのだった。と、不意にはやてが振り向いて、一堂は慌てて直立する。何やら不審な態度に怪訝な表情を浮かべつつも、はやては改めて笑顔になって、思いついた名案を口にした。
「なあなあ、ちょうど近くやし、翠屋に寄ってかん? この時間なら、なのはちゃんがおるかも知れんし、なのはちゃんがおったら、すずかちゃんとアリサちゃんもおるかも知れん。そやなくても、冷たいパフェでも食べてけば、元気回復や」
 家に帰るまでが云々はどうした、などと野暮を言う人間は当然おらず、むしろ建設的な状態に戻ったはやてに安堵して、一様に笑顔をこぼす。そうと決まれば目的地は近く、念話や携帯で連絡を取るまでもなしに、一同は翠屋の戸をくぐり————
「いらっしゃいませー……あ、こんにちはー! なのは達なら、奥のテーブルにいるよ〜」
 はやて達を出迎えたのは、店の手伝いをしていたなのはの姉——高町美由紀だった。どうやらシフトには入っていなかったようだが、期待通りそこにはなのはの他に、こちらに気づいて手を振るアリサにすずか、それから————
「ユーノ? 珍しいね、休みなんて」
 美由紀が手際良く準備してくれた隣のテーブルに着いたフェイトは、意外な顔に少々驚く。
「久しぶり、フェイト。はやてにみんなも。たまたま仕事がポケットになっててね、今の内に休めって追い出されちゃったんだ」
 ユーノの言葉を聞いて、深く頷くシグナム。
「道理だな。主やなのは、テスタロッサに比べてすら、お前は働き過ぎなきらいが有る。たまには暇くらい持て余してみろ」
「あなたのライバルの兄君殿が、もう少し自重してくれれば暇になるんだけどね」
 嫌味無く笑って皮肉気に言ってみせるシグナムに、似た表情でユーノ。その言葉を聞いて、慌てて頭を下げるのがフェイトだ。
「ご、ごめんねユーノ! うちのお兄ちゃんのせいで…………」
 そうなると、フェイト以上に慌てる事になるのがユーノ自身である。
「————や、ごめ、冗談、冗談だからフェイト! クロノの依頼は、量は多いけど苦じゃないから! そんな真面目に謝らないでっ!」
 二人の様子にアリサを初めとして苦笑する中、きょとんとするフェイトに対して、シグナムが大袈裟な溜め息を吐いた。
「…………もう少し言葉裏くらい読めるようになれ、執務官」
「ぁぅ…………」
 小さくなるフェイトに助け船を出すように、注文を終えたメニューをパタンと閉じたはやてが口を開く。
「まあまあ、ドジせず一分の隙もないフェイトちゃんも寂しいやん。これがフェイトちゃんのええ所なんやし、あんましイジメたらあかんよシグナム」
「はやてちゃん、フォローになってないよ?」
 どっさりと縦線を背負ったフェイトを見て、すかさず救いの手を延べるのが、女神すずかである。
 ————と、最初に二言三言交わした後は、特に話すでもなく笑顔で成り行きを見守っていたなのはが、ふとユーノと視線を絡ませると、頷いて不意に立ち上がった。
「……なのは?」
 思わずアリサの口から突いて出た疑問符に、ユーノもまた立ち上がるのを見ながら、
「思った通りはやてちゃん達も来た事だし、ごめんだけど、わたしとユーノ君はちょっと約束してた事が有ったから、これで失礼するね」
 唐突に告げられた言葉に、当然ながら不満を隠さないアリサ。
「なによ、水くさいじゃない! どこに行くの? 買い物とかなら、皆で行けば良いでしょ?」
「買い物も有るけど……ごめん、デートなんだよ」
 ユーノが言うと、納得する一同。

「あらあら、デートじゃ仕方ないわね」
「うん、デートなら仕方ねー」
「デートか、それならば仕方ないな」
「デートならば、仕方あるまい」
「デートかーほなしょうがないなー」
「デートなんだ、じゃあしょうがないね」
「ふぅん…………?」
「なんだ、デートだってんなら、早く言いなさいよね!」

「うん、それじゃあみんな、行ってくるね」
「行ってきます————あ、お金はここに置いておくから」
『行ってらっしゃーい』
 手を振り振り、翠屋を出て行くなのは達に、一同淀みなく手を振って————


『————って、デートォォォォっっっ!!?』
 どんがらがっしゃーん!!「美由紀っ!? 大丈夫っ!?」


 ほぼ全員の素っ頓狂な叫び声と、本日のフロアリーダーを務める、彼氏いない歴がそのまま年齢の姉がショックで倒れる音が、見事に重なる春の昼下がりであった。


 【魔法少女リリカルなのはSS『いつか、その日を迎えるために』】


「おおおお落ち着くのよアリサ=バニングス! そうよ、まずは素数を数えましょう。1、3、8、7、にじゅうよん…………」
「どどどどどうしようすずかっ!? えと、まずは何をすれば良いのかな……そうだ、ベビーベッドを作らないと! シグナム、木を切りに行こう!」
「よし、行くぞテスタロッサ! 杉で良いか? いや、あれは花粉が飛ぶか————」
「マリーさんのとこで検診受けてるリインに教えたらな! ヴィータ、104に電話や!」
「おうっ! …………えーっと、オー人事、オー人事…………」
 盛大に舞い上がってる5人を前に、すずか、シャマル、ザフィーラの3人は顔を見合わせる。
「…………あの、さすがにこのままにしておくわけには…………他のお客さん達の迷惑にもなりますし…………」
「シャマル、こう言った事にはお前の方が向いてるだろう。すまぬが、頼む」
「任せて————はいはい! みんな、お静かにっ! ここで騒いだら、お店に迷惑よ!」
 シャマルの言葉に応えるように、全員の動きがピタリと止まる。その面々を、真面目な瞳で見据えながら、シャマルは改めて口を開いた。
「そんな事よりも何よりも、今はやらなければならない事があるでしょう?」
 ————それは? 無言の問い掛けに、満を持して頷くと、
「————そう、後を着けるのよ」
『SO☆RE☆DA!』
「ちょ……シャマルさんっ…………!」
 結局、シャマルはあちら側の人間だったようで。
 思わずキャラを忘れたような突っ込みをするすずかの後ろでは、信じていた者に裏切られた表情でさめざめと泣く偉丈夫が一人。
 男泣きの守護獣を尻目に、姦しく会話は続く。
「……あの二人、あれだけ否定しといてからに、一体いつから…………!」
「分からないよ……管理局で、わたしが二人と一緒にご飯食べてた時だって、これまで通りで変わった所は無かったのに…………」
「男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うものだが……眼を剥くにも程が有ると言うものだ」
「はやてー! 時空管理局の番号聞いたら、電話切られちまったよ!」
「はやてちゃん、二人の現在地をリアルタイムで補足完了! 二時の方角を駅に向かって歩いてるわ!」
「よし、シャマルはそのまま頼むで。————美由紀さーん! ごめんやけど、さっきの注文キャンセルや! それどころやなくなってもうた!」
「…………りょ、りょーかい…………。と言うより、おねーさんも同行して良いかな? 事の次第が分かるまでは、とても仕事どころじゃ…………」
 盛大に顔色を悪くしつつ、既にエプロンを外し始め、ホワイトボードのシフト表に『病欠(心の)』とでっかく書きながら、美由紀はよろよろと一同に合流して来る。翠屋の店運が心配な所では有ったが、厨房の桃子と士郎が目頭を押さえて何も言わぬ所を見るに、最優先事項と認識されたようだ。
 不可思議なテンションとなった面々の中、すずかだけは何やら考え事に耽っていたが、既に諦めているのか、止めるには至らない。
「ほな…………征こか?」
『イエス、サー』


 かくして、非常に面妖な追跡行が始まった。何しろ、人数が人数である上に、大小様々な美女が寄り合い(含む偉丈夫)、電信柱から電信柱へと渡り歩いているのである。しかしながら、その面々を見咎めたり、警察に通報する通行人は一人としていなかった。それは偏に、シャマルとクラールヴィントの力によるもので、一行の周囲に移動式の認識阻害結界を張り巡らせていたのだ。簡単な人払い効果もあるようで、偶然にぶつかるような者もいない周到ぶりだった。…………ならば、わざわざ隠れ歩く事もなかろうが、そこはそれ、気分の賜であると言う事は、リーダー格で先頭を行くはやてとアリサに装着された、いかにもなサングラスが何よりも雄弁に物語っているのだった。
 と、不意にはやての脚が止まり、後ろ手に『待て』と指示を出す。その間にも注意深く前を伺っていたアリサが、向き直り力強く頷いて————
「ターゲットを肉眼で確認。身長、頭髪、仲睦まじさ全て照合。99.876%の確率で、高町なのはとユーノ・スクライア本人だと言えるわ」
 喉元まで出かかった突っ込みを辛うじて飲み込み、無理な息遣いで呼吸困難に陥りかけるすずか。こんな時でも、楽しそうな親友達に水を差してはいけないと貧乏クジを一身に引き受けるのが、すずかのすずかたる美徳であり、悲しきサガである。
 自分との戦いを繰り広げているすずかを分かってくれるのは、背中を優しく叩いてくれるザフィーラだけであり、他の面々は真剣この上ない表情で、二人の一挙手一投足を見守っていた。
「ううう……なんやもどかしいな。デート言うんなら、手ぇくらい繋いだらええのに」
「…………いいえはやてちゃん。良く見て下さい、なのはちゃんの右手を!」
 はやての言葉を半ば遮るようにして上がったシャマルの声に、皆の視線が一斉にそちらを向くと、次いで固唾を飲む音が同時に鳴り響いた。
 その動きは実に僅か。だが、ユーノと自身の視界の外では、なのはの手がユーノの手に対して、付かず離れずを確かに繰り返しているのである。おずおずと伸びては、躊躇うように脱力し、また戻される。時折見られる明るい横顔からは到底推し量れない葛藤が見え隠れし、ギャラリーは思わず手に汗を握る。
「このバカなのはっ! お前の勇気はそんなもんじゃねーだろっ! 行けっ! 一思いに行っちまえ!」
「ユーノ君の呼吸を聞くんだよなのは……! 心を静めて相手の全てを掌握すれば、必ず隙は見つかるわ!」
「なのはっ……頑張れっ……! 頑張れっ!」
 実に真剣勝負の一手のようなノリで、胸中声援を送る一同が見守る中————遂にその手が、意を決したように小さく拳を握る!
「おおっ! 行くんか、行けるんかっ!?」
 熱に浮かされたようなはやての言葉に応えるかの如く、なのはの手がゆっくりと伸ばされ————ユーノの手の傍らをすり抜けた。
『……………………え?』
 そのまま肩に運ばれた手が何やら動くと、その指先に摘まれたものを見たユーノが、恥ずかしそうに頬を掻き、なのはは微笑んでそれを軽く吹き飛ばす。
「————って、糸屑が気になっただけって言うわけっ!? あ、あんの天然ぽけぽけ娘がぁっ…………!」
「このっ……その程度でっ、あんな攻めぎ合いっ、してんじゃねえよっ!」
「ぐぁっ……! ヴィータっ……気持ちは分かるがっ……やつ当たりはやめっ……!」
 激昂するアリサとヴィータを横目に、シグナムが首から下げたレヴァンティンに手をかける。
「シグナムっ!? 何をするつもりですかっ!」
「止めるなテスタロッサ。あの大馬鹿者に灸を据えてくる」
《Ja.》
「レヴァンティンも止めてって!?」
「…………なのはちゃんの性格を考えたら、分かると思うんだけどな…………」


 すったもんだしている内に、一行は駅に着く。さりげなく進み出て、なのはの分も切符を買うユーノの姿に、各々の笑顔で頷く面々。ホームに降りてみれば、春休みだけあってかなりの混み具合を見せていた。選んだポジションは、なのは達と同じ車両の正反対。やや遠めで見づらくはあるが、それだけに安心して監視出来る距離でもある。
 さて、そんな満員電車の中、長身班によって二人の査定は続けられていた。
「む…………ユーノの奴め、細かい所で良い仕事をしているな」
 珍しくも素直な笑みを浮かべて、シグナムが感心したように漏らすと、尻尾でも振らんばかりの勢いで、アリサが食い付いてくる。
「シグナムさん、ユーノどうしてるんですか?」
「ああ、壁に手を突き自分の体を支えているように見せて、さりげなくなのはにスペースを作ってやっているんだ」
「しかも、周りの人にも迷惑がかからないように、その範囲は最小限に抑えて……ね。
 うんうん、お姉ちゃん的にはポイント高いぞ、男の子」
 シグナムに続けて告げられた美由紀の言葉に、一同は思わず「ほぉ〜」と溜め息を吐く。
「ユーノ君は気配りが出来る人だし、あからさまにしたら、なのはちゃんも困るって事を、良く分かってるんだね」

「————あら? ちょっと待って」

 と、和やかな雰囲気を打ち砕くように、シャマルが疑惑を声に出す。
「壁に手を突いて、最小限のスペース確保って……パッと見は口付け秒読み段階じゃないかしら…………?」
『————————っ!?』
 即座に変質する空気。すかさず、サングラスが逆光に煌めく。
「シグナムっ! 現状報告早うっ! 以後リアルタイムで実況やっ!」
「Javowl!!」
 悲鳴のようなはやての指令に、愛機のように了承を返すシグナム。
「今のところ、先ほどから状態は変わっていませんが…………やはり緊張しているのでしょう。二人とも、注意深く見てみれば顔が赤らんでいます」
 息すら止めているかのように、シグナムの言葉の一言一句に耳を傾ける一同。皆の期待を一身に背負いながら、シグナムは二人の様子をつぶさに観察する。
「会話は、取り留めない世間話のようです。教導隊入りして1年のなのはと、司書長就任から1年のユーノですので、互いの近況把握に余念が無いのでしょう。そう言う意味では、取り立てて色気の無い————っ!?」
「なんだ!? どうしたシグナムっ!?」
「————シグナム、報告義務を怠ったらあかんで」
 唐突に声を詰まらせて硬直するシグナムに、ヴィータが誰何の叫びを上げ、次いではやての、常に無い冷徹な声が追い討つ。
「…………く、空気が変わりました…………。なのはが、ユーノの行動に気付いたようです」
「もっと詳しくや。なのはちゃんの表情は?」
「こ……困ったように目を伏せながらも、内心の嬉しさは抑え切れないような…………『はにかみ』を体現したそれです。頬をうっすらと桃色に染め、う、上目遣いで…………」
「ユーノ君の方はどうや?」
「あ、お、同じくはにかみ加減で眼を逸らしてはいるものの、目が合った時には互いの瞳に互いが映り…………って、まだ言わせるのですか主はやてっ!?」
 シグナムは、急速に我に還る自分を自覚してしまった。冷静になってみれば、そもそもがおかしいのだ。
 ————そう、何故自分が『こちら側』にいる? 普段ならば、ザフィーラと肩を並べて溜め息を吐いてしかるべきキャラクターのはずなのに、あまりにも予想の範疇外な事態に踊らされて、すっかり自分を見失っていたのだ!
「————口が止まっとるよ。ほら、二人の息遣いとか実況してみい」
 だがしかし、常ならば慈母のごとき主から告げられるのは、耳を疑わんばかりの冷徹な指示だった。瞬間、泣きそうな顔になりながらも、主に仕える将として、拒否する意思など有ろうはずもないシグナムだった。
「っ…………なのはの呼吸は、荒いと言う程ではないにせよ、徐々に早くなってきています…………。そ、それに合わせて……なんだ、何故ここまで聞こえるんだ……!? 心臓の鼓動まで速くなり…………!」
 無論、聞こえているのはシグナム自身の鼓動だろうが——本人はそれに気付くべくもない。
「や、やや上気し潤んだ瞳で、みみ瑞々しい唇かから漏れ出る吐息を受けてユーノは————うわああああ駄目です主はやてっ! 後生ですからこれ以上はっ…………これ以上はお許しををををっっっ!!」
「ええいならんっ! そんな生易しく育てた覚えはないでシグナムっ!」
「もうやめてはやてちゃんっ! シグナムのHPはゼロよっ!」
 てんやわんやな状況に溜め息を吐きつつ、ザフィーラは我が眼で見た事を、シグナムの名誉のため、そっと胸の内にしまう。テンパったシグナムの目が桃色加減になっていただけで、なのはとユーノはさして特筆する事もなく、普段の様子で仲良く話していたなどとは、口が裂けても言えないのだ。
 ————と、その時!

「————ひぅっ!?」

 不意に上がった悲鳴は、フェイトのものだった。しかもそれは羞恥を含んだ艶っぽいもので、てんやわんやだった3人も含めて、全員の視線が一気に集まる。
「ど、どうしたの?」
「あの、その、お、お尻っ……! 今、誰かにっ!?」
 唐突に我が身を襲った災難に、フェイトの目に涙が溢れ、小声ながらもしどろもどろに訴える。
「なっ……!? 満員電車だからって、フェイトの身体をただで触ろうだなんて————」
「あ…………あーーーーーっっ!!」
 アリサの言葉を皆まで聞かずに上がったのは、シャマルの声で…………途端にはやてとヴォルケンリッターの間に走る巨大な不安。恐る恐る、諦め半分にはやてが尋ねる。
「…………シャマル。今度は、何を失敗したん?」
 その言葉に涙する余裕すら無く、蒼白なままに続けるシャマル。
「あ、あのね…………今、追跡のために認識阻害魔法を使っているでしょ? 『見えなく』なるわけじゃないから、私たちのいる部分に空白が出来てるように見えたりはしないんだけど…………『気にしなく』なるのよね」
 そこまでを聞いて察したすずかが、泣きそうな顔になる。
「そ、それってつまり、周りの人は私達を触っても、何か柔らかいものが有るな程度にしか思わないってこ————」

 ————ガタンッ!! ぎゅ。ぴと。むに。
『————————〜〜〜っっっ!!』

 お約束と言うものは、こんな時こそ起こるもので————何が原因やら知らないが、唐突に大きく揺らいだ車両は、乗車客を強く翻弄し、堪らず平衡を崩した者達は、思わず周りの妙に柔らかい壁に支えを求めるのだった。
「ままままたっ!? もうやだよぉぉぉっっ!!」
「やめっ……! しがみつくなっ!! ああもう、全然気にされてないのもそれはそれで悔しっ……!」
「ぬぅ……」
「ちょ、おま……ザフィーラっ!? 何顔赤くしてんだっ!? どこ触られたんっ……!」
「あんっ……! ってこらはやてっ!? ああああんた何ドサクサに紛れてあたしの胸揉んでんのよっ! 関係ないでしょあんたにはっ!!」
「レヴァンティン……分かっているな?」
《Javowl.》
「シグナムっ!? ボーガン・フォルムはっ……!」
「あはは…………もう、良いよなんでも…………」


 一同盛大にげっそりとする中、ようやく下車する事が出来ると、めそめそと涙を流すフェイトを慰めながらも、めげずに追跡行は続くのだった。
 電車に乗る前から、目的地にはおおよその予想がついていた。海鳴から1時間弱の所に有るテーマパーク。大型のショッピングモールの共催を受け、近辺では並ぶ所のないスポットになっている場所だ。前に一度、なのはを含めた5人で訪れた事も有り、その時のなのはが、『ユーノ君たちも来られたら良かったんだけどなあ……』などと呟いて、アリサとはやてにからかわれていた事を思い出す。
「…………あの時はまさか、本当にここでデートする日が、こんなに早く来る事になるとは思ってもみなかったわ…………」
 アリサの言葉に深く頷くはやてとフェイト。
「————あ、なのはちゃん達、まずはショッピングから始めるみたいだね」

 さて、ここからは少々、時間を速めて進めてみたいと思う。二人の仲睦まじい姿を表現し続ける事は余りにも筆者にとって辛い————長文に過ぎてしまうのだから。


「なのは顔近い! どう考えても顔近いって!」
「ゆ、ユーノ君も自然やなぁ……もっとこう、わたわたしたりすれば面白いのに…………」
「てか、なんでこんな遊園地のぬいぐるみ程度で、あそこまで顔近づけて吟味してんのよあの二人はっ!?」
「そ、それよりもお姉ちゃんとしては、万が一眼を合わせるタイミングが同じになったとした時に、事故ちゅーになりそうなあの間合いが気になるな…………」
「————って、なんであいつらはさっきから、計ったようなタイミングで交互に顔を向けてんだよっっ! あああああもどかしいなあもうっ!」
「…………すまないザフィーラ。お前は店からずっと、こんな気持ちで付いて来ていたのだな…………」
「…………いや、分かってくれたなら良い」


「今度はお化け屋敷…………定番通りだけど、申し分無いわね————」
「きゃあああああっっっ!!!?」
「なのはちゃん、こういうの苦手だったはずなのに…………ユーノ君と一緒だからかな、少し怖がってるけど、いつも程じゃないね————」
「ひいいいぃぃぃぃんっっ!!!」
「それにしても、あの腕への抱きつき方がまた…………なのはちゃんも、もっと胸とか押しつけちゃえば————」
「いやぁぁぁぁぁぁあんっっ!!」
「ええい!! さっきからやかましいぞテスタロッサ! この程度でそこまで怖じ気づいてどうするか嘆かわしい!」
「そんな事言ったってシグナムっ…………! 怖いものは怖いんですっ! そんな事言うなら、いっそわたしを護って下さいっ!」
「な、て、おおおお腕に抱きつくな胸を押しつけるな上目遣いで涙目を見せるなっっ!? ヴィ、ヴィータ! なんとか言ってやってくれっ!」
「そうだぞーテスタロッサ、おばけなんてないんだぞー、ねぼけたひとがみまちがえただけなんだぞー」
「…………ヴィータ、目が虚ろだぞ」
「だけどちょっと怖いんやね、ヴィータも」


「————ヴィータ、シグナム、大丈夫?」
「…………ジェット・コースターって、あんなに怖くてキツいもんだったんだなー…………う。」
「意外よねー。シグナムさん達、いつもジェット・コースターに近いくらいのスピードで飛んでるんじゃないんですか?」
「…………自分の意志で飛ぶのと、遠心力に振り回されるのでは、だいぶ勝手が違うようだ…………う。」
「ほら、エチケット袋。でもなるべく我慢やよ、シグナム」
「す、すみません主はやて。う。」
「…………今回ばかりは、スクライア達の動向を追ってる場合ではなかったな」
「でもその代わり、もっと面白いものが見られました。散々お化け屋敷で人をバカにしてたのに…………情けないです、シグナム」
「くっ…………て、敵前逃亡をしたテスタロッサに言われたくは……う。」
「敵を知り、己を知れば百戦危うからずです。戦略的撤退と言って下さい」
「知った風な事を……う、ぐ、あ、す、すみません主はやて、少々失礼致します!」
「ま、待ったシグナム! あたしも一緒に————!」


 何やら途中、なのは達の様子と言うよりは、一行の珍プレイ集と言った趣になっていたが————春めいて気長になっていた太陽も、遊園地で一日遊び倒そうとすれば、すぐに心変わりして茜空を呼び込むものだ。遊園地は夜まで営業している所だったが、中学生の身分では、カラスの鳴き声と共に楽しい一日にも終わりを告げる時が来る。
 そして、なのはとユーノは————
「…………まあ、観覧車よね、やっぱり」
 さもありなんと頷くアリサ。はやても同じ表情で、観覧車の麓から、二人が乗っているゴンドラを眺めている。
「…………準備完了、これで————出来た!」
 シャマルの言葉に、全員の意識が集中する。そこでは、環状になったクラールヴィントが、文字通りの鏡となって、ゴンドラの中の二人を映し出していた。
「うわー……すっご。魔法って、やっぱり何でも出来るんだねー…………」
「や、シャマルは特別、こういう魔法に特化してるだけで…………そんなに万能でもねーです。あたしらなんて、ぶっ叩くか、ぶった斬るかくらいしか出来ませんし」
 感心したように零す美由紀に、困ったようにヴィータが説明する。
「シャマル、これ、音声も拾えるんか?」
「もちろんです。お願いね、クラールヴィント」
 はやての要望に応えて、鏡から小さめの音量で、二人の会話が届き始める。
《————今日は楽しかったね、ユーノ君》
《うん、ほんとに。でもなのは、あのぬいぐるみ、本当に買わなくて良かったの? 随分欲しそうにしてたけど》
《…………あー、うん。途中でやっぱり、なんか違うって思っちゃったから》
 ユーノの言葉に、なのはは気まずげに視線を逸らして、サイド・ポニーを弄る。
《…………本当のこと言うとね、時々不意に、肩が寂しくなるんだ。ほら、ユーノ君がフェレットになってた時、よくわたしの肩に乗ってたでしょ? 魔法を知ってからしばらく、その温もりと一緒だったから…………一度墜ちてからは、特にね…………》
《なのは…………》
《それで、プライベートの時にでも、肩に乗せてたらすっきりするかな……とか思ったんだけど…………多分、もっと寂しくなるかな、って》
 思ったよりもしんみりとした会話を受けて、まじまじと観ていた一同も、幾分居心地の悪い思いに身じろぎをする。しかし、なのはは唐突にその表情を明るくした。
《それに、時々でもこうして一緒に過ごせるなら、ばっちり充電出来るって分かったから、良いんだ!》
《あはは、燃費が良いね、なのはは》
《ユーノ君は? 燃費悪いの》
《悪いなぁ…………こんなに時々で足りるんだろうか?》
 おどけたようにそう言って、二人は柔らかく笑い合う。
「————あらあら、誰も観てないのに惚気てるわね、二人とも」
「シャマルさん、観てる人がそう言うのはどうでしょう?」
「ええんよすずかちゃん。それに、あんな幸せそうな惚気、誰にも聞かれへん方が勿体ないやん?」
「————そっか。それもそうかも、だね」
 一度気持ちを切り替えてからは、再び楽しそうな会話が始まった。一日話してもまだ話し足りないのか、互いの近況の事に始まり、管理局の事から、フェイト達の事に至るまで、止まる事無く語られるそれらの話に、一同は時に和み、時に一喜一憂しながら、二人の仲睦まじい様子を見守る。
 ————そして、ふと会話が途切れた。
 なのはは、少し憂いを帯びたような潤んだ瞳でユーノを見つめ、ユーノは毅然とした表情でその視線を受け止める。
「————するんかな?」
「————するでしょう、この流れは」
「…………えと、その、何を?」
『……………………』
 横目で視線を交わして頷き合うはやてとアリサに、小首を傾げてフェイトが尋ねる。そんなフェイトに、しばし能面のような表情を向けていた二人だったが————
「ええいカマトトもええ加減にせえっ! ピュアかっ!? ピュアなんかフェイトちゃんはっ!?」
「キスよ口づけよベーゼよ接吻よっ! これで良いのっ!? はっきり口にすれば満足なのフェイトっ!?」
「ふえええええんごめんなさいいいいっっって、なんでわたしが謝ってるのおおおおおっっっ!?」
「…………シグナム、我々はこのまま観ていて良いものだろうか? 誇り高き夜天の王の騎士として————」
「…………だからこそ、主だけを出刃亀にする訳にもいかないだろう。言ってやめてくれる事もないだろうし…………」
「二人とも難しく考え過ぎよ、楽しまなくちゃ損よ?」
「…………いや、お前は難しく考えろよ。ヴォルケンリッター参謀としてさ」
「ふふふ…………10歳近く違う妹に、ファースト・キスを先越されるのかあ…………」
「……………………本当にするのかな、二人とも…………」
 最後に呟いたすずかの言葉は、誰の耳にも届かずに————各々の想いを胸に、一行はその行く末を見守っていた。

 ————カタン、と、ユーノが腰を上げる。

 ————コクン、と、一同の喉が鳴る。

 ————なのはが、静かに目を閉じ、心持ち顎を上げて————


《————————わっ!!!!!》


『————————っっっっっっ!!!!?』
 鏡から叩き込まれた大声量に鼓膜を揺すられて、思わずはやて達は、蹲って耳を塞いだ。恐る恐る鏡の中を覗き込んでみれば、そこに映っていたのは『してやったり』と言わんばかりの笑顔を浮かべた二人だった。
《にゃはは、上手く行ったね、ユーノ君》
《うん、絵に描いてた通りって奴かな》
「…………え、えっ、えーーーっっ!?」
 カメラ目線で朗らかに笑う二人に、代表するかのようにアリサが混乱し、
《そろそろ降りるから、少し待っててね、みんな》
『——————ええええええええっっっっ!!?』
 次いでほぼ全員の絶叫が、鏡の前で唱和するのだった。


 がらごん、と重々しい音を立ててゴンドラのドアが開け放たれ、40分振りになのはとユーノは地面に降り立つ。腕を組んだりはしておらず、実にいつも通りの雰囲気だ。対して待ち構える面々は、一様に仁王立ちで、しかし困惑冷めやらぬ何とも微妙な表情をしていた。
「————で、説明してもらいましょうか、二人とも?」
 アリサが言うと、それに答えたのはなのはだった。
「アリサちゃん、今日は何月何日だっけ?」
「何月何日ってそりゃ、4月1日…………っ!?」
 アリサが口にした日付に、ミッドの任務に出ていた面々が引きつった。
「ま…………まさか…………まさかとは思うんやけどな? ひょっとして、なのはちゃん…………?」
 絶望的とも言わんばかりの一同に対して、なのはとユーノは満面の笑みである。
「そう、エイプリル・フールの逆ドッキリでした。いつもからかわれたりしてたから、効果有ったでしょ?」
『だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………』
 その言葉に、大半のメンバーが脱力して崩れ落ちた。
「き、期待して損したわ…………」
「む、無理してシフト休んで来たのに…………」
「触られ損…………」
「揉まれ損…………」
「吐き損…………」
「あの、何が有ったの一体? それに、お姉ちゃんまで来るとは、さすがに予想してなかったんだけど…………」
 何やら予想以上の斜め上に凹んでいる面々に、困ったように笑うなのはである。
「…………随分と手の込んだ事だな、スクライア」
「まあ、たまには僕らも一本取りたいと思いまして」
「ひょっとして、こっちの行動全部筒抜けだった?」
「ええ。シャマルさんが、クラールヴィントでこっちの状況を調べようとする事は予測出来てたんで、こちらはこんな細工を」
 ユーノが言うと、アリサの胸元のポケットから、一つのサーチ・スフィアが姿を現した。
「…………エ、エリア・サーチの簡易版!? 一体いつから…………」
「みんなが帰ってくる前、翠屋で、4人で話していた時からだったので、さすがにバレなかったでしょう?」
「そ、それはさすがに感知できないわ…………そっちの行動把握に集中してたし…………」
 自分の胸元から飛び出てきたサーチ・スフィアを胡乱に追っていたアリサの瞳に、不意に光が宿った。
「…………んっふっふ…………それじゃあそろそろ、あたし達のターンって事で良いのかしら?」
 ゆらり、と立ち上がり不穏な表情を浮かべると、次いではやて、ヴィータも立ち上がる。
「そやなぁ…………嘘みたいな目におうたんやから、嘘みたいなお返しせんとあかんね」
「とりあえず、この四月バカップル、一発叩き潰して良いかな、はやて?」
 徐々に危険なものを帯びてくる3人の瞳を見て、なのはとユーノの頬を冷たいものが流れる。
「えーと…………その…………」
「なんと言いますか、ですね…………」

『ごめんなさい』
 二人揃って頭を下げ、その言葉がトリガーだったのだろうか、何の前触れも無く現れた魔法陣に、二人は姿を消した。

「逃げたっ!? このっ、そんな理不尽赦すと思ってるの!? はやてっ!」
「らじゃ! シャマル、追跡早うっ!」
「してます! ってあああああユーノ君、どれだけ複雑なジャンプしてるのっ!? とてもじゃ無いけど追い切れな————」
「いぶし出せ! ギガントかまさなきゃ気が済むかこんなのっ!」

 ————それを追おうと奮闘する面々がいて。

「ふふふテスタロッサ。どうだろう、久々に死合わないか? こう、模擬戦と言わず互いの臨界まで」
「やっぱり気が合いますねシグナム、死ぬ気も死なす気も有りませんが、その心情は良く分かります、やりましょう」
「お前達…………無茶な事はするなよ?」

 ————とにかく鬱憤のぶつけ先を探している者達がいて。

「ああ…………でも、お姉ちゃんは少し安心したよ…………」

 ————なけなしのプライドが辛くも守られた者もいたが。

「…………少し、気に入らないな」

 ————すずかは一人、不満な表情で、二人の消えた先を見つめていた。

 

 ヴ…………ン……。

「————よ、と。到着」
「ご苦労様、ユーノ君」
 数十回に及ぶ連続転送によって、シャマルの追跡を完全に振り切った二人が辿り着いた先は、海鳴市の林道の中だった。
「…………怒ってたねー、アリサ達」
「…………まあ、たまにはわたし達だって、ね」
 横目で苦笑し合い、それはすぐに、柔らかい微笑みに変わる。と、なのはは道の一角を見遣り、ゆっくりと歩んで行った。しゃがみこみ、その大地にそっと触れる。
「大体、この辺りだったよね?」
「うん————僕は殆ど気を失ってたから、今イチはっきりしないんだけど…………その場所だと思う」
 そこはかつて、傷ついた小さなフェレットと、何も知らない小さな少女が出会った場所だった。愛おしげにその場を撫でながら、なのはは感慨深く言葉を紡ぐ。
「ユーノ君に出会って…………魔法に知って…………自分の夢を見つけて…………挫折して…………」
「誰もが挫折してもおかしくない事故から、なのははちゃんと、立ち上がったよ」
 ユーノが言葉を挟むと、なのはは振り向き、微笑んだ。
「みんながいてくれたから。あの事故から、あの怪我からわたしが戻って来られたのは、みんなのおかげだよ。特にやっぱり、ユーノ君と————アリサちゃん」
「あの時のアリサには、みんな驚いたからね」
 病院で、まだ意識も朦朧としていたなのはに、特例として駆けつけたアリサが叩きつけた言葉を、二人で同時に思い出す。

『なのはがいなくなったらっ…………あたしは一生泣き続けるっ! あたしの知らない所で怪我して、そのまま消えちゃうなんて赦さないからっ!! 世界のどこかで泣いてる子を、一人でも多く助けたいんでしょっ!? だったら、親友の涙くらいっ……真っ先に乾かしてみなさいよっ、バカなのはっ!!』

 アリサの涙を思い出すと、なのはの胸に温かいものが溢れ————少し、涙腺が緩み始めた。
「仕事の合間を縫ってだったから、みんなとは全然タイミングが合わなくて…………ユーノ君がお見舞いに来てくれたのは、いつもみんなが帰ってからだったね」
「クロノのせいにしとこうか。当たらずも遠からずだし」
「だけど、欠かさずに毎日来てくれたのも、ユーノ君だけだった」
 おどけるユーノの言葉に、どこまでも優しい笑顔でなのはは告げる。
「少しずつ、気付き始めた気持ち。自分にとって、ユーノ君がどんな人なのか。自分は、ユーノ君の何になりたいのか」
「自覚した時は、本当に唐突だった。僕自身、なんでそれまで気付いてなかったのか、本当にびっくりだったけど…………」
「わたしは、ユーノ君の事を————」「僕は、なのはのことを————」
『————心の奥底から、大好きだよ』
 半年前にも、似たような言葉で告げ合った二人は、しかし、言葉にするだけで、触れ合う事はしない。

 つ…………。

 なのはの潤んだ眦から、一筋の涙が滑り落ちた。
「————きっと、我慢出来なくなっちゃう。ユーノ君に抱きついて、いっぱい撫でてもらって、キス、したら…………」
「僕も、多分我慢が出来なくなる。なのはを抱き締めて、なのはの事を、今よりももっと知ったら…………」
 二人は、年齢に反して大人過ぎたのだ。精神構造も、そしてその仕事も。
 若さにかまけて、想いのままに抱き合えば、どんなにか気持ち良いことだろう。しかし、一度でも満たされてしまえば、もっと貪欲に、もっと高みを目指してしまうことに、二人は不幸にも気付いてしまっていたのだ。そして、自分達の忙しさが、それを許しはしない事も。
 だから、二人は極力触れ合わない。半年前、互いの気持ちを伝え合ったその時から、いつかお互いが余裕ある大人として、無理せずに、存分に愛し合うことが出来るようになる事を、心待ちにしながら。
 それでも、気付いてしまったが故に、想いに歯止めは利かなくなり————なのははいつしか、顔を歪めて泣いていた。
「…………苦しい、よ。好きなのに…………もっと、一緒にいたいのに…………」
 もっとの上、さらにその上、目指してゆく毎に高みは遠ざかり、いつしか疲れて、摩耗する事が怖かった。普通の中学生なら、考えるべくもないことが、なのはの心を蝕んで————

 ————きゅ。

「————————っ!? ユ、ユーノ君!」
 不意に身を包んだ優しい温かさに、一瞬だけ幸せに脱力したなのはは、しかしすぐに表情を固くした。ユーノは、なのはを抱き締めながら、耳元で囁くように、
「これは、嘘だから」
「————嘘?」
 きょとん、として聞き返すなのはに、ユーノは頷く。
「なのはと約束した。お互いの仕事に目処が着くまでは、触れ合ったりしないって。だから、今ここで、泣いているなのはが堪らなく愛しくて、僕が衝動に駆られてなのはを抱き締めたって、それは嘘だ。今日限り、4月1日だけの気の迷いだから。だから、ノーカウント」
 いつも整然として、それでいて時に熱いユーノの、あまりにも無茶苦茶な理論に、泣いていたまま、なのははユーノの腰に手を回し、泣きながら笑った。
「じゃあ、ここでわたしが、我慢できなくなって泣いて、ユーノ君に縋り付いたって、それも、嘘だね」
「うん、嘘だよ。だから、好きなだけ、泣いていいよ。僕も、一緒に泣くからさ」
 言いながら優しく頭を撫でるユーノの手の温もりに、そして、自分の肩に零れた涙の熱さに融かされて、なのはは堰を切ったように、滂沱と泣きながら、ユーノの名を口にし続けた。


 何となく気恥ずかしくて、お互い頬を赤らめてあらぬ方を向いていたが、やがて視線を交わし合うと、微笑んだ。
「————毎年、4月1日にデートしようか。嘘のデートで、嘘の想いを告げ合って、だけど、きっとそれだけで前に進めるから」
「にゃはは…………大賛成だよ、ユーノ君」
 背負っていた重いものを降ろしたように、二人の顔は晴れやかだった。と、思い出したようにユーノが顔を歪める。
「…………どうしたの、ユーノ君?」
「あのさ、すずかにだけは、早めにちゃんと謝った方が良いんじゃないかな? 今日、なんか様子が変だったし……」
「あ…………」
 言われて、なのはに緊張の色が浮かぶ。なのは自身も、最後のカミングアウトの際に、すずかだけが気になっていたのだった。してやられた、と言うような他の面々に比べて、すずかだけは、本気で怒っていたようにも見えた。息を飲んで、携帯電話を操作する。

《————もしもし》

「あ…………すずかちゃん、あのね、今日の事なんだけど…………」

《……………………赦さないよ》

「え————————?」

 途端に、なのはの顔が色を失ってゆく。
《どうしてあんな嘘をつくの? いくら4月1日でも、ついて良い嘘と、悪い嘘が有るよね?》
「あ、あの……! すずかちゃん、ご、ごめ……!」
《なのはちゃんなんて、大嫌い》
「ぁ………………」
 なのはの様子を見て、何事かとユーノが電話を替わろうとした瞬間である。
《————————もちろん、嘘だけどね☆》
「………………………………ぇ? あ…………」
 ぺたん、と、思わずその場に座り込んで、なのはは脱力した。
《10年早いよ、なのはちゃん?》
「……………………参りました……本当に泣きそうになっちゃった…………と言うか、今ここで大泣きしていい、すずかちゃん?」
《あはは、ごめんね。それじゃ、お詫びに二つだけ忠告してあげるよ》
「忠告?」
《————顔、洗った方が良いよ。そのまま寝ると、明日の表情に出ちゃうから》
 何を言われたのか、一瞬分からなかった。何気なく手を触れて、涙の跡が筋を引いている事に気付く。何故、顔を見てすらいないこの状況下で、今の自分の状態が分かったのかと、驚きすずかに訊こうとして————
《もう一つ。今ね、シャマルさんが座標を確認したって。電波で繋がってる状態だったら、見つかりやすくなるの当たり前だよね?》
「あ————————ユ、ユーノ君っ! 緊急じた…………」
「みぃぃぃつけたぁあぁぁぁ」
 すずかの忠告を活かしきる前に、底冷えする声が空間から響き————察したユーノは、既になのはの手を取っていた。
「逃げるよ、なのは!」
「うんっ! ユーノ君!」
「待てーーーーーーいっ!! 今度こそ逃がすもんですかっ!!」

 ————To be next April 1.

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