【魔法少女リリカルなのはSS『その姓を背負って』】
    ※時空管理局通信Vol.14投稿作品『モンディアル』加筆修正版。

 エリオ・モンディアルの部屋の中には、必要最小限の家財道具を飾るように、何枚かの写真が飾ってあった。その中で、エリオ本人と共に、どれを見ても写っているのは、母であり、姉であり、しかし本来なら赤の他人であったはずの女性――――フェイト・T・ハラオウンだ。
 六課解散後にキャロと共に移り住んだ、この自然保護隊の隊舎でも、それは変わらず――――もっとも、いつしか女性として意識し始めたキャロの写真が増えた事は否めないが――――写真の中で、フェイトはずっと、エリオを見守り続けているようだった。
 自然保護隊員として、それぞれ忙しない日々を送っている二人だったが、役職は同じでも、四六時中常にキャロと顔を合わせているわけではない。今この瞬間もまさにそうで、小動物達の世話に行ったキャロを見送った後は、パトロールの開始時間まで、ゆっくりと身体を休めている所だった。
 そんな時、ふとエリオは物思いに耽る事がある。
 ひとつ、写真立てを手に取って、その中で微笑むフェイトを見つめる。思い出すのは、数年前の出来事。
 そう、珍しくも、フェイトがエリオの願いを拒絶した時のことだ。

「――――ごめんね。だけど、それは出来ない」
「…………どうしてですか? やっぱり、どうしたって、僕達は本当の家族にはなれないって――――」
 フェイトの拒否を受けて、目に涙を溜めるエリオが短絡的な自虐に陥るのを引き留めるように、フェイトはエリオを抱き締めた。
「そうじゃないよ。今のままだって、私達は本当の家族なんだから」
 慈愛に溢れたその言葉に、しかしエリオの涙は止まらない。
「だったらどうしてっ…………僕と前の両親とは、もう関係は有りません。だったら、姓をテスタロッサ・ハラオウンとする事は、法的にもそんなに難しい事ではないでしょう?」
 エリオは、自分の名前の中に、つながりを求めたのだ。暗闇の中から自分を救い出してくれた、自分にとって、まさに光そのものであるフェイトとの。しかし、フェイトはやはり、静かに首を横に振った。
「たしかに、手続きさえしてしまえば、後はもう簡単。わたしは時空管理局本局の執務官だから、社会的にも後見人になれる立場だし、親代りにもなれる。だけどね、エリオ。私は、出来ればエリオには、そのままの名前を持って生きていてもらいたいと思うんだ」
 エリオは、拗ねたようにそっぽを向いて応えない。フェイトはくすりと微笑むと、エリオの針金のような髪の毛を撫でつけながら、耳元に唇を近づけて、囁くように呟いた。
「今はまだ、分からないだろうけれども、きっといつか分かるようになるから、覚えていて欲しい。私はね、リンディ母さんの養子になる時に、長いこと悩んでたんだ。以前の姓、『テスタロッサ』をどうするか。
プレシア母さんに突き放されて、自分を見失って、なのはと出会って、優しさに触れて――――それまでの自分を終わらせて、新しい自分を始める事が出来た。それなら、私はもう『フェイト・ハラオウン』なんじゃないか、って。『テスタロッサ』は、もう要らないんじゃないかって。
 ――――だけどね、結局、私はテスタロッサを捨てなかった。これまでの自分を終わりにすることと、これまでの自分を捨てること、それは似てるようで、全然違う事なんだ。間違って来たこと、後悔してること、全部全部抱き締めて、それでも前に進むから、人間って成長できるんだよ。
 辛いかも知れない。『モンディアル』の中にいて、理不尽に裏切られた記憶を持って生きるのは。けれど、いつかもっと心が強くなって、自分の中の『モンディアル』と向き合うことが出来るようになったら、きっともっと、エリオから見える世界が広がると思う。同じような苦しみを抱えた子供達や、悲しい記憶に縛られた人達を助けてあげることが出来るようになると思う。
 …………ごめんね、お願い叶えてあげられなく。私のこと、嫌いになった…………?」
そっぽを向いていたエリオは、次第に肩を震わせ――――フェイトに身を埋めるように抱きついた。
「――――よく、わかりません。でも、僕がフェイトさんを嫌いになる事なんて、有るわけないじゃないですか。
 分かりました、ずっと悩み続けます。いつか答えが出るその日まで。だから、答えが出るまで、傍にいて下さいね、フェイトさん…………」
 言葉にする代りに、そっと、フェイトはエリオを抱き締める。そして、一言だけ呟いた。
「――――あまえんぼ」
「――――はい」


 思い起こして、何とも気恥ずかしい心持ちになった。いかに当時6歳だったとは言え、なんともはや。何となくだが、その時から既にふくよかになりつつあった、フェイトの肢体の感触を覚えてしまっているのもよろしくない。しっかりしろ、煩悩退散! とばかりに、頬を一発二発。

 ピピッ!

 と、その折に通信が入った。緊急回線を利用してくるのは、ほぼ一人に限られている。果たしてエリオの予想通り、通信の主はキャロだった。
『ごめんエリオ君! 時間にはまだ早いけれど、出動して! 密猟者、数が多くて私とフリードだけじゃ…………』
 焦燥感溢れるキャロに、エリオは即座に頷く。そして悪戯じみた表情で、
「うん、偉いよキャロ。今日は無茶して一人で行かなかったんだね」
『だって、これ以上エリオ君に怒られたくないもん。座標、送るね?』
「了解、1分で行く。キャロは、密猟者の動向を見張ってて」
 了承の意を返し、キャロは通信を切る。
 エリオは立ち上がり、バリア・ジャケットを身に纏った。右手にストラーダを握り込み、つと、写真のフェイトに目をやる。

 ――――フェイトさん、正直、あの時の答えが自分の中に有るのかどうか、まだ自信は有りません。でも、一つだけ思う事があります。
 きっとそれは、あの時の答えとは程遠い、斜め上な事だと思いますが――――意外に的を射ている答えで、僕は気に入ってます。

 もし、僕が『エリオ・T・ハラオウン』になって、さらに彼女が『キャロ・T・ハラオウン』になってしまっていたとしたら……。
 今僕は、自分の中にあるこの感情に、苦しんでいたことでしょう。
 護りたい人がいる、護れる自分がいる、それが今の僕です。
 逃げないで、立ち向かう。
 その一歩目はきっと、あの時のフェイトさんが押してくれたものです。

 だから――――

「管理局自然保護隊保護管、エリオ・モンディアル――――行きます!」

 ――――了。

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