————そこには、在るべき姿のままの自然が在った。透けるように蒼い空の下、見渡す限りの広大な森林が広がり、木々の梢から飛び立つ鳥達のさらに上空を、今はもう殆ど見ることの出来なくなった飛竜種が飛翔する。甲高い泣き声を上げながら、親竜の後ろをついて行くその様は、彼らが天敵に怯えることなのない、穏やかな時を過ごしている事を物語っていた。
 深緑の葉が重なり合い、穏和な希少種達を覆い隠す中、それに紛れるように、一つの複雑な魔法陣が描かれていた。通常の魔法を発動させた時に生成されるそれよりも、二回りは大きなその規模にあって、細部の緻密さもまた、比にならないレベルで構成されているその魔法陣の傍に、一匹の小動物が姿を現す。その小さな身体には不釣り合いな程の、大きな耳をひくつかせながら、巨木が分け与えてくれる糧を拾い集め、片端から頬張っていくその姿は、観る者などいないが、不必要なまでの愛くるしさに溢れていた。
 ————と、木の実を集めては、頬袋の中に詰め込んでいたその手が止まる。突如立ち上がったその小動物は、大きな耳を尖らせて魔法陣の方に目を向けた。

 ヴン…………。

 小さな音と共に、魔法陣は淡い桃色に輝き、設定された効果を発動させ始めた。完全に発現する前に、小動物は急ぎ足で、茂みの中へと跳び込んで行く。幾ばくの時を置くこともなく、魔法陣から魔力が膨れあがり、円柱状の螺旋となって立ち昇った。徐々にその光が収まって行き、視界の晴れたそこにいたのは、大きなトランクを持った一人の青年。邪気の無い柔和な顔立ちに、少々とぼけた印象を与えそうな丸眼鏡を掛け、優男と言って間違いのないその痩躯は、ある意味この、危険など何一つ無さそうな平穏な空間には良く合っている。
 青年は大きく伸びをすると、大きなトランクを重そうに持ち上げながら、森の中へと足を運ぶのだった。


 【魔法少女リリカルなのはSS『飛天の竜騎士は気苦労が絶えない』】


 青年は覚束ない足取りで、しかし道そのものには慣れているのか、迷うことなく獣道を歩んでゆく。時折、張り出した根に足を取られそうになりつつも、次第に滲み始めた額の汗を拭う頃には、木漏れ日もその明るさを増し、やや開けた所が徐々に見受けられるようになっていた。
 ————ふと、足を止める。開けた空間の一つ、巨木の根に腰を下ろして、色とりどりの美しい鳥達を我が身に呼び寄せては、愛おしそうに喉元を撫でてやっている少女の姿を目にして。幼子と言うにはもう年齢を重ねたのだろうか、まだ未成熟ではあるが、女性としての丸みを少しずつ帯び始めている少女は、動きやすそうな軽装の上に、民族衣装のような貫頭衣をかぶっている。腰まで伸ばしている柔らかな綿毛のような桃色の髪を、その華奢で小さな身体には些か大き過ぎるように感じる帽子に収め、まだあどけない顔立ちは、穏やかな笑顔によってさらに魅力的なものとなっていた。
 少女は青年に気付くと、顔馴染みなのだろう、会釈して一礼した。青年も、同じく人好きのする微笑みで右手を挙げる。
「————今日も、あの子を描きに来たんですか?」
 その言葉に、青年はトランクを掲げ上げて応える。
「うん、多分今日で終わると思うんだ。良かったら、呼んでもらっても良いかな? 彼らの住処まで僕が行っても構わないんだけれど、森のみんなに余計な心配をかけちゃいそうだからね」
 少女は「はい」と頷くと、大振りの宝石が埋め込まれたグローブを付けた手をそっと掲げ、静かに目を閉じる。目を瞑っていた時間はごく僅かで、再びその大きな瞳をのぞかせると、「すぐに来てくれるそうですから、少し待っていて下さいね」と、微笑んだ。
 青年は頷くと、持っていたトランクを下ろし、開いたその中から様々な道具を取り出し始める。折りたたみ式の椅子、描きかけのキャンバス、画材道具一式————青年が一通りを揃え終わる頃には、茂みが音を立て、木々の間から一頭の一角馬が姿を見せた。
「やあ、こんにちわ。今日も君を描かせてもらいたいのだけど、良いかな?」
 一角馬はそれには答えずに、無愛想なまま木漏れ日の当たる温かい草むらに寝そべった。その様子を見て、普段通りの素っ気ない態度に苦笑しつつも、青年は「ありがとう」と呟き、キャンバスの中と同じ姿勢を取ってくれている一角馬の様子を、つぶさに観察し始めた。
 決して人間の男性とは相容れないはずの一角馬と、そんな一角馬にも警戒心を持たせないような、全く毒気のない絵描きの青年。そんな奇妙なツーショットを観ながら、少女は入れ替わり寄ってくる友を代わる代わる愛でていたが、突然その表情が硬くなる。絵描きの青年は、キャンバスに描かれた一角馬の陰影を、より写実的に際立たせてゆきながらも、数ヶ月来の友人となった少女の様子に気付き、目は一角馬から離さぬままに、声だけで問い掛けた。
「————また、無粋な奴らが来たのかい?」
 少女は頷くと立ち上がり、身の周りに集まっていた動物達を、森の中へと帰してやった。
「…………そうみたいです。ちょっと、行ってきますね。
 ————ケリュケイオン、セットアップ」
《Drive ignition.》
 少女の言葉に応え、グローブの宝石が淡く明滅すると、桃色の魔力光が少女の身体を包み込み、瞬く間にその身に纏う衣装を換えてゆく。貫頭衣と帽子は殆どそのままに、包まれていた軽装の服が、より機動性と防護力を内包したものとなっていた。長い髪は、邪魔にならないように後ろで一つに纏められていて、穏やかだった表情も、どこか凛とした強さを備えていた。
「————君ならそうそう滅多な事は無いと思うけど……気をつけてね、キャロ」
 少女————キャロは、少しだけ不安そうに告げる青年に微笑むと、ケリュケイオンに指示を出し、転移魔法陣を展開する。程なくしてキャロの姿は消え、青年はキャロがいた場所を見るともなしに見ていたが、やがてキャンバスに向き直ると、再び筆を進め始めるのだった。

 結界魔法には、大別して二つの種類がある。即時展開式のものと、置換式のものだ。即時展開式のものとしては、例えば封時結界であったり、音声遮断結界であったりと、その場の状況に応じて術者が使い分けられる即席のものが代表とされる。対して置換式結界と言うものは、数人の術者がそれぞれの分野を担当し、予め精密に練り上げられた魔法陣やデバイスを触媒として、その場に適した効果を維持し続けるものである。
 第61管理世界『スプールス』において、総面積の10%を占める自然保護区画の大森林には、管理局自然保護隊によって、前述の置換式結界が張られていた。その効能は、生態系に影響を及ぼす類のものではなく、それを管理するためのものである。種々の生命を別個認識し、常にその生息数を把握するためのもので、結界と言うよりも、自律式で半永久稼働のサーチャーのようなものと言えるだろう。その情報は、自然保護隊のベースキャンプに設置されているモニターに常時記録され、何かしらの異常が認められた時には、モニターに搭載されている結界維持の役割も担ったインテリジェンス・デバイスから、常駐している隊員達へと念話が飛ぶ事になっているのである。
 異常とは、例えば、流行病による種の減衰あったり————密猟者の侵入であったり。
 この区画には本来直接入ることは出来ず、絵描きの青年の様な目的を持つ者は、厳正な身体検査を受けた上で、本局に備え付けられた転送魔法陣によってのみ、到達が可能となっているのである。当然結界は人間にも反応するわけで、許可を得ていない人物が侵入した場合は、すぐに保護隊員の知る所となるのだ。
「————急ぐぞ。時間が経てばすぐに保護隊の奴らが駆けつけてくる」
「わかってる。お前ら、余計な動物に目を向けるなよ。ルートは確保しているが、比較的足はつきやすい『商品』なんだ。数は少なく、質は高く……な」
 密猟者達も、それは知るところなのだろう。今回ここ『スプールス』に侵入した者達は、いかにもプロと言った所作で、森の中を移動していた。その数は5名で、目当ての希少動物以外には目もくれずに進んでいる。やがて、密猟者達の前に、待ち望んでいた一頭の鹿の様な動物が現れた。学名『トパーズ・エリクシル・ホーン』、大きく張り出した清澄な琥珀色の角が特徴的で、その角から削りだした粉末を特殊な薬草と調合すると、万病に効くとされる妙薬が作れる幻の動物だ。角以外の毛並みも非常に美しく、角を切り落とした後は剥製にするも良しとして、百年ほど前に乱獲され、その数を激減させた希少種である。
 リーダー格の男が振り返り手を振ると、他の4人は即時散開し、立体的に琥珀鹿を包囲してゆく。彼が野生の勘によって危険に気付いた時は、既にもう遅かった。低威力だが広範囲の電撃魔法が地表を舐め上げ、悲鳴を上げる暇も無く琥珀鹿の自由を奪う。するとすぐに、二人の男が発動させたバインドがその身を縛り上げ、最後に物理的な投網をかぶせられて、瞬く間に琥珀鹿は無力化された。動かぬ四肢を震わせ、悲しげな嘶きをか細く上げるその琥珀鹿を、密猟者達は無情に抱え上げようとして————

「————止まって下さい。この一帯は時空管理局によって、自然保護区画として指定されています。その子を置いて今すぐ立ち去るのであれば、この場は警告で済ませますが…………」

 大声ではないが、不思議と良く通り耳に残る、そんな少女の声に、密猟者達は動きを止めて声の主を見た。無論、そこに立っていたのはキャロである。まだ幼さを残す少女を目にして、しかし密猟者達の様子に油断や嘲りは無かった。
「…………13歳の身で総合AAランクの召喚魔導士、元機動六課のキャロ・ル・ルシエか。初動が速いな」
 リーダーの目配せに、一人が頷く。
「計算通り、エリオ・モンディアルも守護竜もまだ来てはいない。殺るなら今だ」
 同時に、先程のように展開する密猟者達を見て、キャロは警告をやめた。
「…………その気は無いようですね。では、条例違反並びに公務執行妨害の現行犯で、逮捕させていただきます!」
《Divine Shooter》
 キャロの宣告と共に明滅するケリュケイオン。機械音声に押されるように、12個の光弾がキャロを取り巻く。キャロの宣告の直後に動き始めた密猟者達に囲まれぬよう、自身も地を蹴って駆けながら、キャロは12発の光弾の内、5発を同時に操作し、5人全員を強襲する。しかし、密猟者達も素人ではなかった。決して遅くも弱くもないディヴァイン・シューターを、それぞれが冷静に捌ききる。あるいは障壁で防ぎ、あるいは自身の獲物に纏わせた魔力で叩き落とし————しかし、キャロ自身もそれで決めるとはハナから思っていないかった。
「————アクセル!」
 欲しかったのは、その対応の差。動きながら叩き落とした者は、当然早い段階でキャロの元に到達するし、足を止めて障壁を展開した者は、そのまま遠距離に止まる事となる。接近してきたのは2人、さらにその内の1人に狙いを絞り、キャロは残りの光弾を、全てその1人に叩き込んだのだ。さらに、コマンド・ワードによる加速で、ターゲットとなった1人は、完全に意表を突かれた形になった。

 ちゅごむっ!!

「ぐは————!」
 7発の光弾の直撃に障壁の生成が追いつかず、バリア・ジャケットを撃ち抜かれた男は、その場に倒れ伏す。それを見ながら、顔色一つ変えずに突進してくるもう一人の男に、キャロは冷静に構え直して————唐突に血相を変えて、転がるようにして、横っ飛びに身を投げた。

 ごう————!!

 突進してきた男もろともに、一条の砲撃がキャロが居た空間を蹂躙してゆく。巻き込まれた男は、悲鳴を上げる暇もなく、意識を失ってくず折れた。そのはるか後方から、砲撃を撃った男の舌打ちが聞こえてくる。
「…………仲間じゃないんですかっ!?」
 前回り受け身の要領で立ち上がったキャロは、険しい表情で詰問するが、男は涼しげな表情だ。
「ああ————だから、精々利用させてもらおうと思ったんだがな。なに、非殺傷設定だ。死にはしない」
「あなたはっ…………!」
 なおも言いつのろうとしたキャロに、横合いから飛びついてくる別の男。対して再びケリュケイオンが瞬き————
《Boost Up Acceleration & Strike Power》
 桃色の光に包まれたキャロの身体がかき消える。増幅された身体能力で、男の攻撃を避けつつ瞬時に後ろに回り込んだキャロは、目標を失って倒れ込んだ男の頸椎に、鋭い手刀を叩き込んだ。その一撃は紛わず男の意識を刈り取り、これで3人目————と、振り返った瞬間、その表情が焦燥に引きつる。先程の砲撃魔術師が、今度は二つのスフィアを生み出していたのである。砲撃魔術師が展開している魔法は、その質から見ておそらくブレイズ・キャノン。炎熱を伴う強力な砲撃魔法である。この森林の中で、それを撃たせるのは非常にまずい。
キャロが取った行動は、一か八かの賭けのようなものだった。増幅が生きている脚力を最大限に生かして、砲撃魔術師に向かって駆ける!
《Blaze cannon》
《Wheel Protection》
 互いのデバイスが魔法を発動させたのは同時。二条のブレイズ・キャノンの強襲に対して、ケリュケイオンが展開したホイール・プロテクションが中点を穿ち、威力を消失させて行く! 直射砲は、一点に威力が集中する事で、その真価を発揮する。その収束する点を見極め、内側から砲撃を拡散させるという妙技に、キャロは見事成功した。吹き散らされた魔力は、火勢を圧倒的に弱めており、周りの木々に引火する事態は起こさなかったのだ。
「————な!?」
 もっとも、キャロも無傷と言うわけではない。散らされた砲撃は、かなりの威力をそぎ落とされながらも、何割かは狙い通りにキャロの身体を打ち据えていた。しかし、バリア・ジャケットを貫くほどには至らなかったそのダメージに、キャロは歯を食いしばって耐え、なおかつ足を止めることはなかったのだ。
「————やぁぁぁぁっっっ!!」

 ————ばきぃっ!

 接近戦は不得手だったのだろう。砲撃魔術師に、加速の乗ったキャロの跳び蹴りを交わす術は無かった。顎を蹴り上げられ、その場にもんどり打って倒れる砲撃魔術師。だが、やはりダメージは有ったのだろう。キャロも着地すると、勢い余ってその場に倒れ込んでしまう。
「く…………」
 それでもすぐに立ち上がって、残る一人に視線を向け————
「————そこまでだ」
 琥珀鹿の首筋に突きつけられた魔力刃を目にして、思わずその動きが止まった。
「保護隊の人間の動きを止めることなど、造作もない事だな。こうして絶滅危惧種を盾に取ってやるだけで、簡単にその足を止めてくれる。さて、どうするね? 私にとっては角さえ有ればどうでも良い命だが、君たちにとってはそうでもないのだろう」
「や……止めて下さい! その子を殺さないでっ!」
 密猟者の予想通り、自身に危険が迫ると分かっていても、キャロには目の前で動物が殺されるのを良しとする事など出来なかった。そして————

 ————ギュルンッ!

「ぅあうっ!?」
 キャロの身を、幾条ものバインドが縛り上げ、拘束する。ケリュケイオンにも一条のバインドが巻き付き、動作を阻害しているようだ。
「————正直、私としては君が動かずとも、君を殺した後でこの鹿も殺すだけなのだがな。選択を誤ったな? いや、分かっていてそうしたのか、愚かなことだ」
 密猟者の嘲り混じりの言葉に、キャロはきつく唇を噛みしめ、うっすらと涙を滲ませる。そんなキャロに、密猟者はゆっくりと手を掲げ、砲撃をチャージし始めて————

「————ええ、まったくその通りですね」

「————!?」
 唐突に背後から聞こえた声に、密猟者はまともに動揺しつつ後ろを振り向き————
「エ…………エリオ・モンディア————」
「————紫電…………一閃!!」

 づごっ!!

 密猟者を打ち据えたのは、左手に持った槍ではなく、エリオの右の拳だった。もっとも、歯を2〜3本へし折りつつ、自身も軽く10mほども吹っ飛び、大木に激突して意識を失った所を鑑みるに、どちらで攻撃されていた方が幸せだったのかは、今一つ判断の付かない所ではあったのだが。
「運が良かったですね。もしも、今の砲撃を撃った後だったら、歯の2〜3本で済ませるつもりはありませんでしたから」
 聞こえていないとは分かっていながらも、エリオはそう吐き捨てた。
 施行者が倒れた事によって、キャロを縛っていたバインドも解けたが、エリオはキャロの方は敢えて見ずに、所々に倒れ伏している密猟者達を縛り上げてゆく。
「…………あ、あの…………エリオくん?」
 キャロは不安そうに立ち上がり、カルガモの子供よろしく後を追いてゆくが、エリオは頑なにそちらを見ようとしない。
「エリオくーん…………」
 さらにキャロの声に力が無くなり、何かこう捨てられた子犬のようなオーラを出し始めると、一瞬びくりとエリオの肩が揺れたが、それでもエリオは、キャロを無視して事後処理を続けていた。
「————えいっ!」

 ばっふ。

 意を決して飛びついたキャロに、後ろから抱きすくめられて、ようやくエリオの足が止まった。それでも言葉を発しようとはしないエリオに、キャロは抱きついたまま、上目遣いに様子を伺う。
「エリオくん、その…………怒ってる? ————ふぁっ!」
 キャロのその言葉に、エリオのこめかみから、何かひび割れる様な、カチン! と言う音が聞こえ、唐突にエリオはキャロの方に向き直り、その肩を鷲づかみにした。そして、その手を徐々に上に持ち上げると————
「てい」

 ぐに。

「————ぅにゅ!?」
 まだまだ少女特有のもちもち感を残したキャロのほっぺたを、それなりに強い力でつねりあげたのだ。
「あはは、キャロ変な顔ー」
「にゅーーーっ! にゅーーーーっ!」
 笑いながらぐにぐにしつつも、全く笑っていないどころか、こめかみに青筋すら立っているエリオの表情に、キャロは内心戦慄しつつも、容赦なく遅い来る頬の痛みに、涙目で悲鳴を上げるのだった。
「————縦縦横横丸描いてちょん」
「にゃうっ!」
 最後に、フェイト直伝の地球式フィニッシュを極められ、キャロはその場に崩れ落ちた。そのまま半べそをかきながら、エリオを恨みがましく見上げる。しかし、キャロが何か言うよりも早く、エリオは圧し殺すような声で呟いた。
「…………キャロ、これで何回目?」
「————え?」
「どうして、僕かフリードを召喚しなかったんだよ!」
「あ、あの、でも…………エリオ君にもフリードにも持ち場が有るし…………今だって、エリオ君も別方向で戦っていたんでしょ? 邪魔したくなかったから…………」
 そう、先程の密猟者は、2グループに分かれていたのだ。そして、たまたまエリオとフリードは、逆方面で巡回していたため、まずはそちらの対処と言うことになってしまったのだ。実はあの出撃の際に、エリオはその旨をキャロに念話で伝えていたのだが、自分の到着を待って行動するように言うエリオの言葉を聞かず、勇み足で飛び出して行ったのだ。
 ちなみに、これで数えること、13回目である。
「…………20秒で片付けて来たよ」
 拗ねたようなエリオの言葉に、キャロは息を飲んだ。エリオの方にも、自分と同様の戦力は行っていただろうに、フリードもいたとは言え、まるでなのはやフェイト達のような強さである。
「キャロの事が気になって、居ても立ってもいられなかったから、全力で片付けて、全速で駆けつけた。フリードには悪いと思ったけど、純粋なスピードなら僕の方が速いからね。置いてきたよ。ようやく辿り着いたら、案の定の光景だし…………バインドで縛られて、傷だらけになってるキャロを見た時の僕の気持ち、分かる?」
 エリオの眦にうっすらと光る涙を見て、キャロはようやく、俯いて後悔の念に駆られた。
「……………………エリオ君、心配かけて、ごめんなさい…………」
 キャロがもらしたその言葉を聞くと、ようやくエリオは表情をゆるめ、キャロと同じ目線にしゃがみ込んで、取り出したハンカチで顔に付いていた土を拭ってやった。
「……お願いだから、あまり無茶しないで。なのはさんの教導で単独戦闘もこなせるようになったって言っても、元々キャロはフルバックなんだからね」
「————うん」
 頭を抱え込むようにして抱き締め、エリオが軽く頭を撫でてやると、キャロは安心したように、少し微笑んで頷いた。
 ————と、

「————クキューーーーーーーッッッ!!」

「? …………あ、ふ、フリードぉぉぉっっ!?」
 聞き慣れた咆哮に顔を上げると、そこには風を唸らせて迫り来る、愛竜の巨体が有った。気がつけば、既にエリオは安全圏に退避している。フリードは、表現するなら『母を訪ねて三千里』と言わんばかりに、感極まったような表情(?)で巨体のままに飛び込んでくる。それはもう、ばっさばっさと大木を薙ぎ倒さんばかりに。
「り————竜魂封印っ!!」
 キャロの魔法が間に合ったのは、僥倖としか言いようがなかった。その多大な質量に押し潰されるギリギリの所で、フリードの身体はみるみる内に縮み、キャロの懐に飛び込んでも問題の無いサイズとなる。それでも、勢いは中々のもので衝撃はそれなりに有ったが、キャロはなんとか耐えきって、愛竜の身体を抱きしめた。
「キューーッ! クキューーーッ!」
「あはは、痛いよフリード! ごめん、ごめんってば!」
 色々と抗議するように、キャロの腕を噛んでは舐めるフリードに、キャロは笑いながら謝る。その姿を見て、エリオもさもありなんと頷いていた。
「フリードも気が気じゃなかったみたいだったからね。しっかり怒られて、反省しなよ、キャロ」
 エリオのその言葉に、キャロは腕にかぶりつくフリードをそのままに、がっくりと項垂れるのだった。


 キャンバスの中に、世界が広がっていた。ただ一欠片の風景を切り取ったはずの絵の中に、実に瑞々しい生命が息づいている。青年は、絵描きとしてはまだまだなのだろう、色彩も構図も、その道のプロが見たのなら、あまり高い評価は与えないのかも知れない。しかし、そこに描かれた一角馬は、確かに『生きて』いるのだ。よく『今にも絵から飛び出てきて走り出しそうな絵』と言う表現がなされるが、この一角馬の絵は少し違った。どちらかと言えば、絵から出て来ても、そのまま仏頂面で眠ってしまいそうな、そんな現実味を帯びていたのだ。
 最後に、角の先に筆を入れ終えて、青年はようやく息をついた。それを見届けて、「もう終わったのか?」と言わんばかりの瞳を向けて来る一角馬に、青年も微笑み一つ頷く。のそりと立ち上がって、再び森の奥へと帰って往くその姿を見送ると、ちょうどその折に、キャロとエリオ、それにいまだキャロの頭を甘噛みしているフリードが戻ってきた。
「————やあ、お疲れ様キャロ、それにエリオ、フリードも。…………で、そのフリードを頭にくっつけるのは、最近の流行なのかな? 僕はどうもそういう流行とかには疎いんだけど————」
「————分かって言ってますよね、ユーノさん?」
 半眼のキャロの言葉に、青年————ユーノ・スクライアは悪戯っぽく微笑んだ。
「駄目だよ、あまり無理しちゃ。また通信上でフェイトが泣くよ?」
 無茶な事をするのは、絶対エリオの方だと思っていたのに————と愚痴っていた幼馴染みを思い出しながらユーノが言うと、キャロもバツ悪く頭を掻こうとして、フリードに触れてしまったので、なんとなくそのまま撫でた。
「あ! 一角馬の絵、完成したんですね!」
 エリオが、ユーノの前のキャンバスを目敏く見つけて、興味津々に覗き込む。ユーノは恥ずかしそうに頬を掻きながらも頷いた。
「あまり上手くは描けなかったけどね。新しい趣味の第一歩としては、まあ上々じゃないかな?」
 謙遜しながらも、ユーノの表情は達成感に満ちていた。無限書庫の管理体制が変わり、少しずつ自分の時間を取れるようになったユーノだったが、いつでもなのはやヴィヴィオといられるわけでもなく、仕事の虫と言われ続けるのも癪だったので、何か趣味として始められる事は無いか————そんな動機で始めたのが、絵画だったのだ。良いモチーフとなるものは無いかと探していたところ、たまたま相談したフェイトから、キャロに頼めば希少動物を描く事も出来ると教えられ、以来こうして暇な時に、足繁く通ってたのである。
「初めてでこれだけ描けるのなら、上手なんてものじゃないと思いますよ!」
「そうですよ、ユーノさん! それに…………わたし、この絵好きです。この子がどんな子なのか、よく見て描いてくれたんだなって、よく分かりますから」
 エリオの言葉にキャロが賛同し、フリードも同意とばかりに翼をはためかせる。ユーノは照れながらも、満更でもなさそうだった。

 画材道具一式をしまうと、ユーノはまた重そうにトランクを持ち上げて、転送魔法陣の方へと向き直った。と、その前に改めてキャロの方へ微笑む。
「キャロ、ありがとうね。君のおかげで、随分はかどったよ」
「いえ、このくらいの事でしたら…………またいつでも来て下さいね、ユーノさん」
 柔和に微笑むキャロに、ユーノはまた悪戯じみた表情になって、
「そんな風に、だいぶ砕けた話し方をしてくれるようになって良かったよ。最初の頃は、『〜であります』口調が抜けなかったからね」
「そ、それは言わないで下さい! …………それに、無限書庫の司書長と言えば、提督クラスの階級に値するんですよ? むしろ、ユーノさんが自分の事を分かっていなさすぎます!」
 自分からからかい始めておいて、キャロにそう指摘されると曖昧に微笑んで受け流すユーノだった。
「それでは、なのはさんやヴィヴィオにもよろしくお伝え下さい」
「エリオ達も、たまには遊びに来てあげてね。ヴィヴィオも会いたがっているから。…………もっとも、そろそろはやてが動く頃か」
 ユーノの言葉に、エリオも「そうですね」と頷く。そして、今度こそユーノは二人と一匹に手を振り、魔法陣の方へと姿を消してゆく。それを見送ると、エリオとキャロはどちらともなく視線を絡めて、はにかんだ。
「…………惚気たりする事はあまり無いけど、ユーノさんとなのはさんって本当に仲が良いよね」
「うん、なのはさんの事を話してる時のユーノさん、本当に良い表情してる。なんか良いよね、ああいう関係」

 きゅ…………。

 不意に自分の左手を握ってきたエリオの手の感触に、キャロの胸が一つ脈打つ。
「フェイトさん達は知らなかったって言ってたけど…………このくらいの事は、僕らくらいの歳の頃にもしてたのかな?」
 思い切ってキャロの手を握っておきながらも、エリオの頬は紅く染まっていた。キャロも紅くなりながら、それでも小さくエリオの手を握り返す。
「————負けたく、ないよね?」
 頬を染めたまま、上目遣いに微笑むキャロに、エリオもまた微笑み、二人は年相応に背伸びをしたまま、共に隊舎へと帰って行くのだった。
 たまたま野外調査に出ていたタントに目撃され、さんざん冷やかされる未来を知らぬままに————。

<了>

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