振り抜いた拳に残ったのは、これ以上ない最高の手応えだった。蒼穹のごとき光の奔流が虚空へと散り消えた後には、気を失い大地へと落下してゆく姉の姿だけが残り————
「————ギン姉っ!!」
 大威力の砲撃を放った後の脱力感を無視して、スバルは憧れた師より受け継いだ勇気の翼をはためかせ、その名の通りのウイング・ロードを駆け抜ける。あわや地面と激突すると言うその瞬間に、辛くもスバルの腕の中には、ギンガの身体が横たわっていた。
 マッハ・キャリバーがけたたましい擦過音を上げながらブレーキをかけ、ようやくスバルは落ち着いて地に足を着ける。自然、漏れ出るのは安堵の溜息。腕の中で眠るギンガは、今どのような状態なのか分からないと言えども、マッハ・キャリバーのスキャンによって、肉体に致命的な損傷はなく、かつ戦闘能力はもはや残されていない事は判明している。最悪の場合でも、これ以上姉と戦う必要は無いことだけは分かっていたのだ。
 そうなると、もちろんギンガの事も心配だが、それ以上に不安なのがティアナの事だ。念話も切り、結界の中と言う状態だったため、ティアナの詳しい現状は分からなかったが、最低でも三人の戦闘機人と交戦状態にあったことは確かなのだ。ティアナの事はもちろん信じているが、それでも過酷な状況であった事は疑うべくもない。
 ————と、
《Buddy,your another one is all right.Don't worry.(あなたのもう一人の相棒も無事のようです)》
 マッハ・キャリバーの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。改めて、自分もコンタクトを取ろうと、念話を繋ごうとして————まずはその無事な姿を確かめようと、目をこらした。戦闘機人としてチューンされているスバルの目は、常人では考えられないほどの距離を超えてティアナのいるビルを視界に収め————
「————っっ!?」
《Coution!!(危ない!)》
 スバルが息を飲むのと、マッハ・キャリバーが先程と打って変わって緊迫した声を出したのは、ほぼ同時のタイミングだった。
 視界の中、スバルによく似た赤毛の少女が破れかぶれに突撃し————その瞬間にティアナの死角で意識を失っていたはずの一人が、無意識のままに立ち上がり、ティアナに躍りかかったのである。
 スバルは気付いてしまっていた。彼我距離は絶望的なまでに遠く、助けを差し伸べることはおろか、念話で注意を促したとしても、もはやティアナが助かるタイミングではない事に。背筋を恐ろしく冷たい何かがよぎり、全身が総毛立って冷や汗が噴き出す。コマ送りのような時間の中、ようやく異変に気付いたティアナが、驚愕に彩られた表情で振り返り、スバルは声もなく絶叫して————

 ————ドゥッ!!

 耳朶を打ったのは、聞き慣れないライフルの狙撃音。その瞬間、スバルの目に映ったのはまさしく神業だった。
 ティアナの首筋から僅かに皮一枚と言う、正確無比と言う表現すら生温い精度をもって、飛来した魔力弾が今まさにティアナを斬りつけんとしていたディードを叩き伏せたのである。赤毛の戦闘機人————ノーヴェは目の前に起きた事態について行けず、呆然とその場に立ちつくし、我に返ったティアナによってその隙を突かれ、無力化された。
 スバルは、そこまでを見届けてようやく尻餅を着き、狙撃弾が飛来した先を見遣る。そこにホバリングしていたのは、隊舎で見慣れた戦闘ヘリ、そしてその縁に座して、構えたライフルを降ろすヴァイス・グランセニックだった。撃った後の残心に、小さく息を吐くその横顔は、常日頃見ていたお調子者の様相から掛け離れていて————
「…………ん」
 腕に感じた身じろぎに、スバルもようやく我に還る。掻き抱いた姉の瞳に、大好きだった優しさが戻っているのを見て、スバルはあふれ出た涙をそのままに、大輪の笑顔を咲かせるのだった。


 【魔法少女リリカルなのはSS『The man with the sniper rifle』】


 タンデム・シートの上、腰に回した手から、感じたことのない鼓動が伝わってくる。ヴァイスが事も無げに撃ち出す一射ごとに、文字通り魔法でも見ているかのように、高機動型のガジェットがカトンボのごとく墜ちてゆく様を見る、ティアナの心臓の動悸が。
 思わず漏れ出た声と共に、ティアナが呆然と、憧憬に満ちた吐息をこぼすのが、先程から聞こえていた。
「————前に言ったな、俺はエースでも達人でもねえ」
 その指が引金を引くごとに、射線軸上のガジェットがその数を減らしてゆく。
「————身内が巻き込まれた事故にびびって、取り返しの着かねえミス・ショットもした」
 紡ぐ言葉はただ淡々と、物思いに耽るでもなく、過去にあった事実を告げるのみ。
「————死にてえぐらい、情けねえ思いもした」
 僅かに込められる、過去の慚愧。しかし、その思いにぶれる狙撃は、ただの一度として無く。
「————それでもよ!」
 空のマガジンを交換するその所作は、滞ることなど刹那もなく、ただ流麗な芸術のように魅せられて————
「無鉄砲で馬鹿ったれな、後輩の道を造ってやる事くらいは出来らあな!」
 ————まさに一閃。強固を誇るガジェットのボディを貫いた狙撃は、確実にそのコア・ユニットを撃ち抜いて、背後の外壁を巻き込み爆発、四散させた。
 跳ね上がるティアナの鼓動を伝え受けながら、スバルもまた、脈打ちそうな心をどうにか自制して、粉塵巻き上がる先を見据える。
「…………よし、行け!!」
「————ぁ、はい!」
 ヴァイスの言葉に、刹那で我に還ったティアナの力強い返事を聞いて、スバルは即座に用意していた術式を展開する。
「ウイング————ロード!!」
 天高く浮遊する聖王のゆりかごへと、天翔るための道が真っ直ぐと生まれ出て————
『————GO!』
 二人の声が重なったのは、当然の理。そして、ティアナは真っ直ぐに走り抜ける。ヴァイスから借り受けたバイクを駆って、スバルが生み出す道の上を。自分の胸の動悸を感じながら、それでもひたむきに前を見つめ…………その後ろで、普段であれば身体全体でしがみついてくるスバルは、手だけで腰につかまっていた。
 ————まるで、その胸の動悸を、ティアナに悟られまいとばかりに。

 

 激動のJ・S事件より、過ぎること一月と半分。事後処理は当の昔に完了し、フォワード隊には以前のように訓練三昧の日々が戻っていた。事件より以前から、既にBランクのレベルを上回っていた4人だったが、正式に高ランク魔導士としての資格を取るために、目下猛特訓中といった所である。
 そんな厳しい毎日だからこそ、なのはの采配で休日が送られる事もある。限界ギリギリまで身体をいじめつくし、十分な休息もしっかりと取る。当たり前で、しかし匙加減の難しいその比率を、なのはは実に上手くこなしていた。
 そしてこの日、スバルはいつものように、タンデム・シートに座って運転手につかまっていた。
 だがその相手は、常とは違う相手で————

「————しっかり掴まってろよ! 俺の運転はティアナみてえに丁寧じゃねえからな!」
「なーに言ってるんですか! そんな危ない運転をする人に、なのはさんやはやてさんが操縦士を任せるわけないでしょう? ティアよりもずっと丁寧ですよ! 大体ティアは、あれで結構、無茶な走らせ方するんですから!」
「そうかい? そりゃあ、ちょっと運転を見てやらにゃなんねえな。なのはさんと言えども、バイクの教導は専門外だろうからなぁ!」
「あはははは、確かに!」
 目と鼻の先にいるヴァイスと、しかし切り裂く風の音に負けないように、自然と大きな声で掛け合うスバル。ヴァイスもまた、危なげなく、しかし鋭い運転でバイクを転がしながら、そんなスバルとのやり取りを楽しんでいた。
「さーて、もういっちょギア上げてくぜ! 控えめに掴まってたら、今度こそ振り落とされっぞ!」
「さっきからそればっかり言って、そんなに私の胸、背中に押しつけて欲しいんですか!」
 からかい混じりのスバルの言葉に、ヴァイスもまた悪戯っぽく口の端を上げて返す。
「あったり前だ! 女の子後ろに乗っけた以上、それを望まねえのは男じゃねえ! ほら、遠慮せずにカモーン!」
「うわ潔いっ! 格好良すぎますよヴァイス陸曹! でも残念、わたしの力とバランス感覚なら、そんな必要はないのです! と言うわけで、そーゆー夢は普通の女の子乗せた時にでも叶えて下さいな!」
「ちっ、残念……っと!」
 互いに軽口を言いながら、ミッド市街へ続く道をいかにも楽しげに走る。スバルはタンデム・シートと言う、運転中には顔色のバレない所にいる幸運に胸を撫で下ろしながら、赤くなった頬を風にさらしていた。————そう、胸なんて押しつけられるわけがない。こんなに激しい動悸など、一瞬で伝わってしまうのだから————思いながら、クスリと零した微笑みは、風の中に流れ、遥か後方へと取り残されるのだった。

 バイクを停めて訪れた、ミッド市街でも人気のある男性洋品店。スバルは揃い踏む数々の候補に目移りし、難しい顔で大いに悩んでいた。隣りのヴァイスは、いささか苦笑気味である。
「…………スバルよ、気持ちは分からんでもないが、その表情はあまりにも場にそぐわんぞ。大体、そんな表情をしないために、俺を連れて来たんじゃねえのか?」
 言われて我に還り、慌ててスバルは両手を振る。
「あ、や、そ、そうでした! あははは……毎年お父さんの誕生日プレゼント、決めるのに半日近く悩んじゃうもので…………」
 告げるスバルに、生温かい半笑いを捧げるヴァイス。一つ息を吐くと、スバルの目線に合わせて結論を促し始める。
「で、去年は何を渡したんだ?」
 問われて瞬間思考を巡らせ、
「去年はタイピンでした。お父さん、ネクタイはそれなりに揃えてるのに、その辺が無頓着だったから、ぶらぶらとだらしなかったんですよー。だから、光沢の薄いシルバー・バックルの奴で、程良く洒落てるものを」
「ほー、割と良いチョイスしてるじゃねえか。親父さん喜んだだろう?」
 感心したようにヴァイスが言うと、スバルも嬉しそうに頷き————苦笑して頬を掻いた。
「…………あー、でも気に入りすぎて、大事に仕舞い込んであまり使ってくれないんですよー。それで、結局だらしなさはほとんどそのままだと言う意味の無さです、はい」
「…………あー、なんともはや…………」
 微笑ましくも間の抜けたエピソードに、ヴァイスも頬を掻いて、お茶を濁すしかない。
「————だが、その話にゃヒントが隠されてそうだな。洒落た物は嫌いじゃないが、無くても本人が不便を感じない物だと使ってくれない。なら、選ぶ物は絞られてくる。ネクタイは結構持ってるって話だったし…………消耗品と言うほどでもないが、徐々に傷んできて替え時を間違えそうな物…………そうだ、ベルトとかはどうだ!」
 予想に反して、理路整然と考えを巡らせて結論を出すヴァイスを、ポカーンと呆けた表情で見つめながら、最後に出た結論に記憶を掘り起こし、
「あ……うん、それ良いです! 確かに、お父さんのベルト、まだしばらくは使えるけど、そろそろガタが出て来てる感じでした!」
「お、そりゃ好都合。んで、ベルトなら色に細工に意匠の差で、意外と選択肢が広いってもんだ。よっしゃ、んじゃ方向性が決まった所で、探してみるか!」
「はいっ!」
 元気良く返事をして————結局その後、三本のベルトからの最終選考に一時間を費やし、青筋を浮かべたヴァイスにこめかみをぐりぐりされるスバルの姿が有った。

 プレゼントが決まった後は、少々遅めの昼食をとりにレストランを訪れ、喉元まで出ていた「支払いは任せろ」と言う台詞を、スバルの第一オーダーを聞いた瞬間に慌ててヴァイスが飲み込む一幕も有ったり無かったり。そのまま帰るのもつまらないだろうと、何となく勢いで入ってみた映画館で、どこかで見たことの有る隊長が、子供とは思えない収束砲で、やはり見たことのある隊長にお話を聞いてもらっている映画の予告編がやっていて、何かこう訓練をしている気分になってしまったり————デートっぽくなるはずなのに、全くそんな事の無かった一日を終える頃、夕陽が差し込む公園にバイクを乗り入れて、帰舎前の一休みをしている二人だった。
「…………なんか、シャーリーさんに見せてもらった映像より、色々グレード・アップしてましたねー」
「ま、映画だからな。色々水増しもされるだろ」
「きっとあれ、もうちょいしたらなのはさん達に直接取材来ますよね?」
「ああ、違えねえ」
 一頻り笑い合って、お互い手にした飲み物を一口。ホット・ココアをすすりながら、スバルはヴァイスの横顔を盗み見る。ブラック・コーヒーを手慣れた様子で口にするヴァイスの姿は、スバルの目に、なんともサマになっていた。
 何となく、空を見上げる。茜色から濃紺に変わりつつある空には、気の早い星々が沈みかけた太陽に負けじと光りを放ち————
「————ずっと、御礼を言いたかったんです」
 きっと、口にするまで長い時間が掛かるだろうと思っていた言葉は、存外すんなりとこぼれ出た。唐突と言えばその通りだったが、自然に耳に入ったスバルの言葉に、ヴァイスも自然と視線を返す。
「J・S事件の時、誰が欠けていても、こうして皆で乗り越えることは出来なかったと思うんですけど…………中でも、ヴァイス陸曹には本当に感謝してるんです」
「————俺に? ヴィータ副隊長とか、シグナム姐さんに比べりゃ、大した事なんて何もしてねえぜ」
 冗談めかして言うヴァイスに、スバルは真摯な瞳で向き直る。その様子に、ヴァイスも何を感じ取ったか、表情を改めて居住まいを正した。
「あの時、ヴァイス陸曹の狙撃が無ければ、ティアはきっと殺されていました」
「どうかな? 案外、咄嗟の判断でどうにかしてたかも知れないぜ。ティアナは出来る奴だからな」
 ヴァイスの言葉に、スバルは薄く微笑んで、しかし頭を振る。
「ティアの事は、きっと六課で一番知っているわたしだから、分かります。あの時のティアに、ディードの斬撃を避ける術は有りませんでしたし、ましてやノーヴェとディードを同時に相手にする余力なんて有りませんでした」
「あー…………まあ、お前が言うのならそうなのかもな」
「ありがとうございます、ティアを助けてくれて」
 改まって言われ、ヴァイスは決まり悪そうに頬を掻く。
「————放っておけなかったんだよな、お前らはさ」
 言うつもりは無かった————そんな表情で、ヴァイスは吶々とこぼし始める。
「曖昧じゃねえ、確かな夢を持ってんのに、目の前に有るそれを見つけられなくて、がむしゃらに焦ってる。ティアナは俺から見りゃ、そんな感じだった。その結果が、あのホテル・アグスタの時であり、例の模擬戦だ。
 でも、そん時のスバル、お前もひどいもんだったんだぜ? ティアなら出来る、なのはさんは優しいから分かってくれる…………信頼と盲信を履き違えちまってる、分かりやすい状態だったよな。本当は、誰よりも真摯にティアナを諫めてやらなけりゃなんなかったのによ」
 ヴァイスに言われて、スバルは落ち込んだ様に顔を落とす。だが、一つ息をついたヴァイスは、笑っていた。
「それでも————間違って、反省して、立ち直ったお前らは、本当に成長したよ。肩の力が抜けて、視界が開けて…………ようやく、安心して見ていられるようになった。だから、あの時俺も、ティアナの援護射撃をする事が出来たんだぜ?」
「…………え?」
「あいつなら————ティアナなら3対1ってなしんどい状況でも、結界が消えるまで絶対に持ち堪えるってな。
 それにスバル。お前の方を注意していなくても、お前とマッハ・キャリバーなら自分達の力でどうにか出来るって思ってたから、俺はあの時、ティアナの状態だけに集中する事が出来てたんだ。でなきゃ、いくらなんでもヘリの上からあんな精密射撃が出来るわけねえだろ」
 笑顔で告げるヴァイスを、赤くなった頬ではとても直視出来ずに、スバルはまた俯いてしまう。自分達の事を本当に良く見てくれていた事を知って、嬉しく、そして少し恥ずかしくて。
「…………ありがと、ございます」
 もう一度もらした言葉は、今度は何に対して言ったものか。ヴァイスはそんなスバルの頭を、一度乱暴に撫でてやって、いつしか飲み干していた缶を、クズ入れに放る。軽い音を立てて、見事にクズ入れの中に収まったそれを見届けて、ヴァイスは一つ伸びをして、スバルの背中を軽く叩いた。
「さて、そろそろ帰るとすっか! ほら、行くぞ」
 既に跨っているヴァイスに促され、スバルはノロノロとタンデム・シートに腰を乗せる。
 ————そして、

 きゅ…………。

「————っ!? お、おい!」
 来た時とは違い、スバルはしっかりと、ヴァイスの背中にしがみついたのである。しどろもどろになるヴァイスだったが、
「…………ごめんなさい、ちょっと寒くなっちゃって……その、少し薄着で来ちゃったんで…………」
 こう、色々なものを振り絞ったように告げるスバルに、ヴァイスは一つ息を吐き、
「————しっかり、つかまってろよ?」
「————はい」

 ヴォン!

 やがて、二人を乗せたバイクは、夜の帳を降ろし始めた帰路へと、姿を消して行くのだった。

 

「————ただいま」
 帰ってきたスバルが不自由しない程度の明りだけが灯った部屋に入り、朝方にティアナから言われた事を思い出す。曰く、いい加減疲労もピークだから、かなり早い時間に寝させてもらう、と。
 秋から冬に季節が変わりはじめ、虫の音も少しずつなりをひそめるこの頃、規則正しく聞こえてくるのは、相棒の微かな寝息だけだった。よそ行きの服を丁寧に掛け、着古した部屋着に袖を通す。冷蔵庫から取り出した炭酸飲料を口に含むと、思っていたよりも身体が火照っていた事を自覚する。いつも座っている椅子に腰掛けると、溜息を一つ。
 男女二人で出掛ければ、それはデートだと言う者もいるかも知れないが、決してそんな事はない……そう思った。
 ————たとえ自分が、どう意識しようとも。

 ポツ…………。

「…………あ、あれ?」
 唐突に、一粒の涙が膝を濡らした。そのままとめどなく溢れるのではなく、ただその一粒のみが、何をか物語る。ヴァイスの瞳はただ優しくて————まるで妹や娘を見るような眼だった。その事が、どうしようもなく、重くのしかかってくる。
 しばしの間、一人で塞ぎ込んだ後、ベッドで安らかに寝息を立てている、ティアナの方を見遣った。
「————ティアを見る時は、どんな表情するんだろうな…………」
 胸にくすぶるもやもやに、思わずそんな呟きをもらして————

「…………変わらないわよ、何も。あんたを見る眼とね」

 ドキン! と、スバルの胸が脈打つ。
「————え、ティ、ティア!?」
 声は、つい今しがた見ていたベッドの方からではなく、真後ろから届いたのである。慌てて振り返ると、何とも寂しげな笑みを浮かべたティアナが立っていた。
「な、後ろ、え? だって、ベッド!」
「マッハ・キャリバー、ありがとうね協力してくれて。あなたは、あれがフェイク・シルエットだって気がついてたんでしょ?」
 ティアナの言葉に、スバルはさらに驚いてもう一人の相棒を見る。
《No problem.I've had it irritates me.(お気になさらず。私もいい加減じれったかったので)》
「————ちょっ!?」
 あまりと言えばあまりのマッハ・キャリバーの返事に、スバルは思わず絶句した。ティアナは、そんなスバルに近づいてゆくと、椅子を引いてすぐ隣に腰掛けた。
「…………まず、ごめんね。こんなだますような真似をして。だけどスバル……こうでもしないと、あんた私に話してくれないどころか、下手すれば勝手に遠慮して引いちゃってたでしょう?」
 ティアナの言葉に、スバルは気まずげに目を逸らし…………小さく頷いた。そして、観念したとばかりに口を開く。
「…………今日で、最後って思ってた。ティア…………ヴァイス陸曹のこと、だいぶ前から好きだったって、何となく気付いてたから…………。今日、お父さんのプレゼント選びに付き合ってもらって…………デートみたいな事を少しでもして…………後はもう、ただの同僚で良いって…………」
 ティアナは口を挟まず、ただ静かにスバルの独白を聞く。
「でも…………話を聞けば聞くほど、意識しちゃって…………知らなかった面を知るほど、惹かれちゃって……! どうしよう……どうすれば良いんだろ? 分からない、分からないよっ……! ヴァイス陸曹の事、やっぱり好きなんだけどっ…………先に好きになってたのはティアなのにっ…………!!」
 ついに、スバルの目から涙が溢れ始める。止めどなく流れる涙をそのままに、スバルは俯き、両の掌をきゅっと握り込んで、ただ嗚咽した。
「…………ゆりかごに突入した頃でしょ? スバルがヴァイス陸曹の事を意識しだしたのは」
「————っ!?」
 ティアナの唐突なその言葉に、しかしスバルは弾かれたように顔を上げた。
「なんで……気づかれないようにしてたつもりなのに…………」
 スバルの言葉に、ティアナはふっと笑って、
「そうでもなければ、タンデム・シートであんな中途半端なつかまり方しないでしょ、あんた? 人懐っこいんだから、本当に」
 ティアナが告げるのを、スバルは唖然として聞いていた。隠せていたと思っていたのは自分だけで————と、ようやく思い当たる事が一つ。そう、自分だって、ティアナがヴァイスを好きであると気づけるくらいなのに、ティアナが気づかないわけがないのだ。
 思い当たったその時、ティアナは笑みを消して、真剣な表情でスバルを見ていた。自然、スバルもまた真剣な表情で見つめ返す。
 ————そして、
「私、ヴァイス陸曹の事が好きよ」
 はっきりと言い切ったティアナに、スバルは返す言葉もなく————するとティアナは、頬を緩めて再び口を開いた。
「…………あー、ようやく言えた。フェアじゃないものね、あんたにだけ言わせておくなんて。取りあえず、これで改めて対等な状態よ」
「え……? あ、え?」
 何やら混乱醒めやらぬスバルを尻目に、ティアナは一つ深呼吸をする。そして大きく息を吸って…………

「こんのバカスバルっ!!」

 がごちんっ!!

「————あぃたぁっ!?」
 大音量の怒声と共に、脳天に叩き込まれた尖った拳に、スバルは思わず、力の限りに悲鳴を上げた。
「なーに一人で悩んで一人で結論出して一人で落ち込もうとしてんのよっ! あんたと私の関係ってのは、たかだか同じ人好きになったからって変わっちゃうようなもんなの!? だったら裏切られた気分よ私は! そんな安っぽい気持ちでいられたなんてね!」
「な…………」
 捲し立てられた言葉に、スバルの血相も変わる。呆けていたような表情は、あまりティアナには向けた事の無い、怒りを滲ませたものになり————
「馬鹿にしないでよっ! そんな軽い気持ちでいるわけないっ!! ヴァイス陸曹の事は好きだけど、ティアの事も同じくらい好きだから迷ってるの!」
「だったら、私も同じ気持ちだって気づきなさいよっ!!」
「————————っ!!」
 ティアナの言葉に、スバルは二の句を継ごうとして、失敗した。と、ティアナもまた頬を染めて、気まずげに顔をそらす。
「…………今朝なんて、最悪だったわよ。ヴァイス陸曹とデートっぽい事が出来るあんたに嫉妬しながら、あんたをタンデム・シートに乗せてるヴァイス陸曹にも嫉妬してたんだから。あたしどんだけよ?」
 何とも情けない表情で吐き捨てるティアナを見て、スバルは思わず吹き出し、爆笑した。
「そ————そんなに笑うことないでしょうがっ!!」
「はくっ……いや、無理……ティア、それっ……最高すぎ……ぷ……っははははははははは!!」
 笑いまくるスバルに、いつものように突っ込む事さえ出来ず、ティアナは赤くなって俯き、恨みがましくスバルを睨んでいた。

 ややあって、ようやく落ち着いたスバルは、もういつもの表情に戻っていた。
「————負けないよ、ティアが相手でも。こればっかりは譲らないからね!」
「あんたがいつ譲ったってのよ? いつも私が折れてばっかりじゃない。たまには、私にも押し通させてもらうわ」
 不敵に言い合って、同時に吹き出す。
「もっとも、ヴァイス陸曹は手が広いから、ライバルってここだけじゃないかもだけどね」
「あー有り得る! アルトさんとかも結構怪しいよね!」
 いつの間にやら姦しく、二人はいつものような談義に花を咲かせる。
 互いの言葉に乗り合って、1を3にも4にも拡げてゆき…………。
 いつか、どちらか————あるいは双方が涙する事になったっとしても、きっとそれを越えて、共にいられるようにと。
 だから今は、自分が見つけた良い所を教え合うのだ。

 あの、狙撃銃の似合うお調子者な青年についての————

 ————了。

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